小説は、地図と似ていなくもない。
小説は、人気がない。
私も新書と比較して、それほど読まない。
それというのも、読み始めから読み終わりまで時間がかかる。
そして何時間かかるかも予測しづらい。
また、読んでみないことには、内容が予測できないので、
購入時に面白そうかどうかの判断がつきにくい。
あらすじを読むと、後々の楽しみが減じる気がしてしまう。
小説を読みなれない人に、小説を読むように仕向けることは困難だ。
小説の壁は厚く高い。
文章しかないことは、試練である。
もはやそれだけで滅入ってしまう人が大勢いる。
小説の存在意義も見出しづらい。
小説を読むことで、知識を得られるということはあるにせよ、
あまりない気もする。
新書や専門書のように体系的ではない。
「効率のいい小説の読み方」という本があったとしたら、
買わない。
ある意味、小説は非効率礼賛なのだろうと思う。
読者を楽しませる小説。
小説の形を借りた評論的な小説。
言葉の響き、センスのコピーライティング的小説。
人間の感情を表現する小説。
特異なストーリー展開の小説。
教養的な小説。
さまざまな小説がある。
小説は何かと聞かれたら、結構困る。
それほど自由な表現の場。
文字のない小説は、きっと小説ではない。
文字は必須で、内容は問わない。
現実世界に、さまざまな人がいるように、
芸能界にも、さまざまな人がいるように、
小説にも、さまざまな人がいる。
現実の縮図化がうまいと、それは立派なものになる。
地球の縮図化は地図で、立派に有用だ。
小説も、文字という形に縮小しながらも、現実がそこに再現されていれば
有用なのだろう。
人間の本来的な欲望に着火する小説は、名作になる。
我々は、他人を理解していない。
いちいちあまり深い事柄に触れないで生きている。
そうでもしなければ、生きづらい。
それでいい。
しかし、深いところを知った上で表面的に付き合うか、
表面的な人間理解で、表面的に付き合うか、
は大きな違いかもしれない。
小説はそこの一つの手段となり得るか。