あなたの操縦席に、あなたはいるか。
自己中は、大事だと思うようになった。
自己のためなら、他人に迷惑をかけてもいいということではない。
自己の内部で、自己を中心に据えるということ。
これは当然のようで、当然ではない。
私は、結構遠慮がちな人間で、自分の中心を他人に預けてきた。
これはいいことではない。
聞き分けの良さ、他人を尊重する精神、人とうまくやっていくことを
優先する精神。
これらは、自分を中心据えていながらに、持っていることが尊い。
自分の中心に、自分がいない場合、
これは他者によく思われたいという願望の産物かもしれない。
人はまず自分を中心に生きる。
赤ん坊は泣くことで、自分を中心付けているかのようだ。
生きていくと、社会化の時期がきて、自分の中心が揺らぐ。
公共の福祉的なことだ。
他人に迷惑をかけない限りにおいて、自由を認められる。
「他人への迷惑」と、「自分の自由」とのバランスは、
人によって違う。
しかし、そのバランスを取ること以前に、
「自分の中心に、自分がいるか、他者がいるかの段階」があるように思う。
自分の中心に自分を据えた人は、自分の責任において、
自由を希求し、他者と共生できる。
あなたの操縦席には、誰がいるだろうか。
自分だろうか。
他人だろうか。
他人に印象付けたい自分だろうか。
私の操縦席には、永いこと他人がいた。
最近になって、自分を操縦席に乗せた。
気持ちが晴れた。