アシタカは、なぜ表紙になれないのか。(もののけ姫)
「もののけ姫」というタイトルなのに、
アシタカをメインに描いているのはなぜか。
逆にいうと、
アシタカの働きが一番大きいのに、
表紙でないのか。
いきなりアシタカは、祟り神に呪われる。
村の長になる予定だったし、心に決めたっぽい女の子もいたのに。
さらに、呪いの発端が、他の村の人間たちのせいであったことが発覚。
彼らは、アシタカが大切にしている価値観と相容れない。
アシタカは神を信じ、森とともに共生する価値観を持つ。
一方の村人(たたら場)は、神や森を征服しようという価値観。
アシタカはめげない。復讐しない。
①神、森・・・自然 もののけ姫(サン)・・・自然な人
②アシタカ・・・仲介、弁証法の人
③たたら場・・・文明
①と③という構図を発見する。
アシタカは①も③も肯定しているように見える。
そしてバランスを、共生できる道を必死に探し求める。(弁証法的統一を!)
アシタカは、かわいそうだ。
もののけ姫をたたら場から森に帰そうと出て行く時、誤って撃たれる。
鉄づくり手伝ったのに・・・。
呪いのおかげで、ランニングハイになっていたから森まで行けた。
森で神(シシガミ)に命を助けられた。
普通めげる。しかしアシタカはめげない。
その姿勢に私たちは励まされる。
知的かつ行動的かつイケメンとは、このことよ。
反省しない人間と大人げない神々。
たたら場的文明は、自分たちのために生きる。
自分の内部の共同体には優しい。
一方で外部には厳しい。
神々は、そこに怒り狂う。
自然を破壊する前に、反省すべきだが、それは人間の業だ。
自然が、人間に不都合なリアクションをとってくれるまで、反省しない。
今回は、ありがたくも、森の神々がリアクションしてくれたので、
たたら場も森もなんとか破壊し尽くされなかった。(アシタカさん!)
遅延で怒鳴るおじさん。謝るしかない駅員さん。仲介する人。
仲介する人は圧倒的に目立たない。
一番大人なのに。偉いのに。
「まぁまぁ収めましょうよ」と言っているのがアシタカである。
アシタカは元来、がっつり自然派の人間だけれども、
文明側の人間にも理解を示す。
これが知性のあるべき姿なのだろう。
相手の内側(たたら場)に入って、話を聞いている。
人間である以上、自然に対して無垢ではいられない。
自然を征服するのでもなく、自然を変えないように努めるのでもなく、
共生を目指す。
たたら場的文明人は、ついに神の首を獲った。
けれども神はデイダラボッチ(呪い?)という、
人間の手の届かない姿となってしまう。
自然を征服した。もしくは自分が神の領域に届いたと思った瞬間、
自然は上をいく。より高い次元を見せつける。
人間には計り知れないものが、そこにある。
首を神に返却して、延滞料金なしに事は治る。
アシタカはたたら場に移住することにした。
これは、セクシーな女が多くて楽しそうだからではない。
都会を謳歌しようというのでもない。
文明側の代表者となる決意だ。
文明と自然の橋渡しをする覚悟だ。
もののけ姫(サン)は森の代表者として、森に戻る。
そして彼らは、時折逢う約束をする。
人と自然の接点を持つこと。
互いに敬いながら、共生を図ること。
それをアシタカは一身に背負う覚悟をした。
そもそも祭りや祈りとは、おそらくこのようなものだ。
人と自然との接点だった。
これはさまざまな地域、民族にみられる。(文化人類学)
ともすると、人は自然の外側にいると思ってしまう。
自然を操作するとか、支配しようとかしてしまう。
しかし、人は自然の一部だ。
自然をいたずらに変えようとすることは、
綱渡り中に、綱に火をつけるようなものだ。(あぶない)
アシタカはかわいそうだけれども、かわいそうではない。
アシタカ的な人間を目指したい。