think-positiveのブログ

ポシティブな面を見て生きる。

ゴリラは戦わない(山極壽一、小菅正夫)と構造主義みたいなお話

 

※内容に触れているかも知れません。いや、触れてます。

 

ゴリラ研究の第一人者、京大元総長の山極さんと、

旭山動物園、元園長の小菅さんの対談。

 

動物を経由した人間論のような内容。

文化人類学的な内容です。

 

クロードレヴィ=ストロースの「野生の思考」によって、

「西洋の知」も「西洋以外の知」もそれぞれ優劣ないよねってことになったと認識している。

 

ヒトと他の生物はどうだろうか。

 

ヒトも、他の生物も、自分とは違う生き物なしには生きられない。

自分だけで完結している生物は存在しない。

 

人間の特殊なところは、家畜を育てているところな気がする。

 

ニワトリを同じ環境で、同じエサを与えて、同じサイズに育て、

ベルトコンベアーで、解体し、トラックで小売店へ出荷される。

 

これは反転させると結構恐ろしい。

 

ゴリラが、人間を食べるとします。

人間は、適度にエサを与えられ、子供を産ませられ、出荷サイズになると、

コンベアーで、解体され、小売店へ出荷される。

 

「食べられるために生まれる。」という悲しい構造は、ヒトが生み出したものだ。

 

この構造は、今後成り立たない。

 

ヒトの数が100億人になると、全員に食料が行き渡らなくなる。

その原因が肉だ。

 

肉は大量の水と植物を消費する。

コストがかかりすぎる。

 

そこで近年は、培養肉や土によらない農業が脚光を浴びている。

 

つまり、家畜の大量生産は、持続的ではないということでしょう。

 

さて、ゴリラに戻らなくては。

 

ゴリラは、主に草食だそうです。

そして、基本的に争いを避けたがるそうです。

群れで生活しており、大人ゴリラがドーンと構えている。

 

オスゴリラは、大人になると背中の毛がシルバーになる。

シルバーバックと言われる。

 

シルバーバックは、動じない。

群れに人間が近づいた場合、

シルバーバックが安全な人間だと判断すると、

群れは、警戒を解く。

 

シルバーバックは、ヒトを観察して、反転していくが、

振り返らない。

 

背中を見せても大丈夫だという自信がある。

その自信が、群れを率いるものの覚悟だ。

 

昭和のお父さんかなと思った。

 

しかし、シルバーバックは子育てをめちゃくちゃする。

目を離さない。そして遊ぶ。

 

遊ぶというのは、知能が高くないとできない。

子供は遊ぶ。遊ぶことが社会性を作る。

かくれんぼ、追いかけっこ、おままごと・・・・。

 

ゴリラの動画を見ていると、人間に見えてくる。

いや、人間よりも成熟しているような気配も感じる。

 

運よく上野動物園のチケットが予約できたので、ゴリラを見にいこうと思います。

前回は完売で取れませんでした。かなり幸運でした。ありがたいです。

しばらくは、予約を遠慮します。

 

ゴリラはなんだかバカにされがちな動物だと思います。

全員B型。バナナ。ドラミング。

 

しかし、物凄くかっこいい。

サルのような小賢しい感じがない。

大物感しかない。

 

「シルバーバックは振り返らない」

山極さんの名言。

 

かっこよすぎですね。

 

ヒトはきっと振り返りすぎかも知れませんね。

過去を振り返って、後悔したり、やる気無くしたり。

 

いまヒトが繁栄していることが、

未来も反映していることを約束しない。

 

ゴリラは結構サステイナブル

 

見習いたいですね。

 

小菅さんは北海道大学で柔道部主将だったそうで、

旧帝大の七帝戦のお話がよく出てました。

 

主将になって、気をつけていたことは、ドーンと座っていること。

動揺せずに、堂々としていることで、安心感を与えることだそうです。

かなりゴリラ的で素晴らしいと思いました。

 

余談ですが、私の父は東北大の柔道部出身で、よく大会の応援に行くそうなので、

小菅さんとはお会いしているのだろうと思います。

 

こういう交流があるのっていいですよね。

 

お二人の体感を伴ったゴリラ論が、とても素晴らしかったです。

 

ぜひ、お読みいただけたらと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新田次郎の「孤高の人」と感受性の壁

 

※本書の内容にふれます。

 

登山は、幼少期に家族で何度かしたことがある。

 

山は気持ちがいい。

 

そんな山に、貴族的な側面があったことは知らなかった。

確かに山登りにインテリのイメージはあった。

 

しかし本書のように、社会人に閉ざされていたことは知らなかった。

 

大正時代は大学進学率3〜5%。

今の大学進学率54%。

 

お金持ちか、お金持ちの大学生しか山には登れなかったらしい。

そして、チームを組んで山に登った。

「お金がないなら、山に登るな。」と主人公は吐き捨てられる。

 

そんな社会背景がある中で、主人公の加藤文太郎は、独りで登っていた。

加藤は大学を出ていない社会人だ。

 

孤高の人というタイトルから、超人的で、人間離れした、感情の乏しい人間の話を想像していた。そして、超人的な記録であるが故に、伝説になっているのだと。

 

しかし、そうではなかった。

 

加藤文太郎は、人間臭い。

 

かなり不器用でコツコツ努力する。

本当は仲間と山に登りたくもなる。

冬山で、久しぶりに人に会えば、嬉しくもなる。

一緒に行動させてほしいと、うずうずする。

 

加藤文太郎は、不器用ゆえに笑顔を出したつもりが、

冷笑の顔を出してしまう。

それは本人も自覚しているが、変えられない。

仲間になりたいのに、敵を作り出してしまう。

 

孤高の人は、泥臭く不器用な、生の人間だった。

 

加藤文太郎は、山の景色に感動する。

かなり感受性が高い。

感受性が高すぎるのかも知れない。

感受性が高すぎて、辛いのかも知れない。

 

目の光に対する感度が高すぎれば、眩しくて目が開けられない。

心の感度が高すぎれば、まともに相手を見続けるのは困難かも知れない。

 

加藤文太郎の感受性は、彼を孤高にした。

 

翻って、

私は、すぐ泣きがちだ。

映画でも小説でも漫画でも。

誰か泣いている人がいると、泣いてしまう。

 

私は心が弱いのかなと思っていた。

それを隠すために、ポーカーフェイスになったのかも知れない。

よく笑うのは、よく笑う。

しかし、他の感情は涙につながりかねないと意識していたのかも知れない。

無意識下で制御していたのかも知れない。

 

自分の核の部分に触れるようなことを人に話す時、

なぜか泣きそうになることがある。

なぜかはわからなかった。

以前調べたことがあって、同じ人がいた。

 

感受性が高すぎるということだった。

 

おそらく私のことを感受性が高すぎると考えている人は、

身の回りにはいないだろうと思う。

私もそうは思っていなかった。

 

しかし、私は感受性が高いようだ。

共感しやすい性質のようだ。

 

鬱になったことはない。

 

そこそこポジティブな、そこそこ感受性が高い人間なのか。

 

私は、加藤文太郎に共感する。

その感受性に共感する。

 

私は、自分のために外壁を作っている。

 

その外壁には、

よく笑う人のデザインもあれば、

物腰が低いデザインもある。

優しいというデザインもある。

 

壁を作って、

そこに壁がないということをアピールするデザインを施して、

私は生きている。

 

それは、ひとつの事実だ。

 

感受性を「高すぎる状態」から、「高い状態」にもっていく。

そのために、いまここで、感受性を吐露している。

 

壁から出る努力をしたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ねこに飼われる。

 

ねこを飼っている人は、同時にねこに飼われている。

 

ねこに飼われている率の方が高い。

 

ねこを飼っていると、人には言う。

しかし、それは本当ではない。

わかりやすいから、そう言っているだけだ。

 

本当は、飼われている。

 

これは、ねこを飼っている人には共感されると思う。

 

ねこが、背中に乗ったらもう、我々は動けなくなってしまう。

ねこを下ろそうという気が起きない。

背中に肉球を感じる至福の時となる。

 

ねこが遊びたい時、我々は遊んであげなくてはならない。

しかし、我々が遊びたい時、ねこが遊びたくなければ、遊べない。

 

ねこは、お腹が減ったら、アピールがすごい。

鳴きまくるし、こちらが寝ていてもお構いなしだ。

布団の隙間から、足を引っ掻きにくる。

そうして、我々は起こされ、ごはんをあげる。

 

しかし、悪いのはねこではない。

ごはんを盛っておかなかった我々が悪い。

 

ねこはグルグルいいながら、近づいてくる。

撫でると、ゴロンと仰向けになり気持ちよさそうに目を閉じる。

ねこは、撫でさせることで、人間に幸せを与えてくれている。

人間を飼うためには、アメが必要であることを心得ている。

 

ねこは、トイレの後がすごい。

ダッシュで部屋を走り回る。

これは誰にも止められない。

我々は、目で追うことしかできない。

 

ねこは、高い位置から我々を見下ろす。

所詮、人間はそんなもんだ。そういうことだ。

 

ねこは、お風呂が嫌いだ。

やり方を間違えると、人間は傷だらけになる。

 

一度、風呂のドアを閉めずに、出かけてしまったことがあった。

湯船には水が溜まっていた。

帰宅すると、にゃーにゃー鳴く声。

何事かと思ったら、びしょ濡れ。

 

きっと湯船の縁を歩いていて、落ちてしまったのだ。

なんてかわいいいのだろうか。

 

ねこは時々失敗する。

失敗すると、自分のカラダを舐める。

自分を慰めているように見えてかわいらしい。

平静を取り戻そうとしているらしい。

 

ねこは、失敗する。

つまり挑戦する。

挑戦して失敗する。そして学ぶ。

 

なんて、素晴らしいのだろうか。

 

ねこの背中を見て、人間も学ぼう。

 

今日も、私はねこに飼われている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうめんをズッとすする練習

今週のお題「そうめん」

 

肺の力が弱いのか、声が小さいと言われることが多い。

 

腹を使うことができていないのかもしれないと思い、

最近は、本を音読している。

 

メンタル的なことかも知れず、自分の声は小さくないと言い聞かせたりもする。

舌のトレーニングというのも毎日行い始めた。

 

思考の現実化回数が自信ということもあるので、

自分自身で有言実行をしている。

 

昔から、ラーメンを啜るのが上手な人を見ると羨ましかった。

一瞬にして、器から麺が口の中に消える。

 

一体どんなカラダをしているのだろうかと。

私のカラダでは、できそうもなかった。

そして、できなかった。

 

しかし、私はそうめんをズッと啜ることに成功した。

一瞬にして口内へ麺を移動させる術を身につけてしまった。

ラーメンはまだ試していないが、できるに違いない。

そうめんで、できたのだから。

 

ズッと啜ることのできない全国の皆さんは、

そうめんから初めてみてはどうかと思います。

 

何事も低いハードルから始めることが肝要だと思います。

 

麺をズッと啜ると、汁が飛ぶという弊害があります。

この対策は私はできていない。

もう一段上の技術がいるのかも知れない。

 

一方、汁が飛び散ることも含めてそうめん説もある。

 

かつての私は、汁を気にしていたかも知れない。

あとはマナー的なこと。

 

完璧を求めるがゆえに、完成にすら辿り着かないことがある。

 

飛び散るめんつゆこそが、夏の到来を告げているのかも知れない。

 

そうめんを一瞬で、口内にズッと啜る夏、いいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眠るために、起きている人におすすめ。ランニング

 

ランニングは、睡眠にいい。

 

私は眠るのが好きです。

眠るために起きていると言ってもいいと思います。

 

そんな人には、ランニングがおすすめです。

 

私は、Apple Watchをつけて生活していて、睡眠も記録しています。

 

ランニングした日というのは、睡眠の質がいい。

・すぐに入眠する。

・入眠後90分以内の質が大事だそうですが、その時間の睡眠が深い。

・睡眠時間中の深い睡眠の比率が高い。成人平均は1.5-1.8時間。→私は2.5-4.5時間

・睡眠:9:00-4:25(7時間25分前後)

・昼間に眠くならない。

・疲れにくい

 

やはり睡眠のために運動するのは最高です。

寝るために生きるということは、本末転倒ですが、まぁ最高ですね。

 

過去の私は、最高って発言するのは年に1回もなかった。

今の私は、1日何回も言っています。

 

これが、ランニングが最高であることの証左ですね。

最高と発言する。ゆえに最高な気分になる。でもいいですよね。

結果的に最高なんだから最高です。

 

いやいや、そんな最高って言われても、走る体力がないっていう人もいらっしゃいますよね。

 

わかります!

 

大丈夫です!

 

体力あります!

 

体力がある朝に走る!

 

体力って、100から減っていくものではない。

ランニングによって、増えるんですよね。

実は。

 

よって、心配いらないです。

 

朝ランニングは、仕事の邪魔にはならない。

仕事の体力を作る。

 

私も体力を誤解していました。

 

毎日立ちっぱなしで、14時間くらい働いてました。(ドアtoドアで16時間)

家に帰ると6時間睡眠を除くと2時間しか残っていない。

そこでランニングという発想は出なかった。

 

しかし、今なら朝ランニングしたいと思う。

 

それで人生変わるから。

 

人生

=アタマ・ココロ・カラダ

=思考・内外の発言・行動・習慣・性格・体力

 

朝+ランニングは、人生をいい方向に向かわせます!

 

ぜひやってみてください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自己の最大化は、他者の自己実現を最大化する。

 

大事じゃないことって、たぶんない。

 

中学生くらいの頃から、世の中は意味で溢れすぎているなって気がしていました。

勉強も大事、友達も大事、息抜きも大事。

 

大事じゃないことがわからなかった。

 

でも自分にとって、大事でないことは存在する。

 

私は、私視点で物事を考えていなかった。

これを30歳を過ぎて痛感しました。

 

20代を何してたのって後悔も一瞬あった。

けれども、30代で気づけてよかった。にシフトした。

 

今気づけてよかった。

 

私は、私視点で生きるべきだ。

そうあればこそ、自分の幸せが存在する。

したいことが見つかる。

 

私はやりたいことや趣味を10年くらい探していた。

200人くらいに趣味を聞いたと思う。

しかし、続いた趣味はなかったし、

やりたいこともそこにはなかった。

 

最近、私は私を理解しようとし始めた。

私が生まれてから今までをノートに書いた。

 

できるだけその時の記憶を映像化し、その時何があって、私はどう行動したか、

何を感じたか、それはなぜか。

 

ノートが埋まり、ペンのインクがなくなった。

そこに書いてあることは、全てではない。

一部だ。

一部なのに、こんな量がある。

 

そのことが、結構自信になった。

自分を信じていい気がした。

そこにはいろんな人が登場して、支えてくれていた。

私は、私として生きていこうと思った。

 

私は私の主人になった。

私は、自分のカラダ、アタマ、ココロの主人になった。

 

カラダを鍛え始めた。

筋トレ、ランニング、ヨガ、プロテイン、野菜・・・。

 

アタマを鍛え始めた。

読書、考える時間、瞑想・・・。

 

ココロを鍛え始めた。

読書、ポジティブ、自分の感情を見つめる、道徳的な振る舞いを知る・・・。

 

私は、私を管理する。

朝は4:25に起きて、自らを鍛える。

 

自分を鍛えることは、楽しい。

幸せも感じる。

そして、これは科学的に証明されている。

 

かつての私。

他人の人生を歩んでいた気がする。

他人にどう思われるかを気にしていた。

学歴がアイデンティティだった。

他者の自分評が、自分だった。

他人のために生きることが、仕事と思っていた。

利他的に生きたいと願った。(これはいいけど。)

 

自分とは遠く離れた物事に関心が強かった。

宇宙の話、アート、文明論、記号論・・・。

 

役に立たないものも、いつか役に立つ。

すぐに役に立たないものの方が価値がある。

そう感じていた。

間違っていないかもしれない。

 

しかし、今優先すべきは、「私」だと思った。

 

「私が私を最大限に生かすこと」を通じて、

他者に最大限に役に立つ。

そして、社会全体も最大化。

 

こういうことが、したい。

 

まず自分がある。そこからしかスタートはできない。

他人や社会をスタートにはできない。

 

私は、私をスタートする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の思考の主人になりたい。

 

 とりとめもないことを考えてしまう。

 

過去の成功や失敗を思い出しては、その思考に身を委ねて、

いたずらに時間を浪費してしまう。

未来への妄想をしてしまう。

 

みなさんもありますかね?ありますよね!

 

最近、私はこの思考というものを結構コントロールできていると実感しています。

そこで、意識していることを記しておきたいと思います。

 

まず、人生を変えたいなと思っているという前提があります。

その上で、人生を変えるには思考を変えることが重要だと思うようになりました。

 

思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。

(引用:マザーテレサか誰かの名言)

 

思考を変えれば、運命が変わるということですね。

 

今の積み重ねが、未来の私だということもあります。

だから、今やること、今の思考を大事にしたほうがいい。

 

今の私が過去を生きると、未来の私も過去を生きることになる。

過去に縛られないように自分を律するといい。

 

思考の主人になって、思考を管理する。

思考が、変な方向に行かないようにする。

この律する行動が、言葉にもなり、他の行動にも波及する。

 

自分を律するということは、これまでも意識はしていたのですが、

かなり低い次元だったと今は思います。

 

思考を律するのはおすすめです。

 

人の悪いところがアタマに浮かんだら、律する。

いいところを見るようにする。

すると、しあわせな気持ちになる。

 

自分を律することは、とても清々しいことなんだと実感してます。

いつも、そういうあり方ができるわけではないですが、

自律思考は持ち歩こうと思ってます。

 

なんだか、他の人を助けたくもなります。

普段、人に道を聞かれることが多いのですが、

この頃は、迷ってる感が出ている人がいたら、

自分から手を差し伸べるようになりました。

 

なんだか行動的になるというメリットもあるかもしれません。

 

また、自分を律する癖がつくと、

SNSの時間の使い方も律することができるようになりました。

 

スマホのアプリの配置を変える。

ロック解除後、一番遠いページにSNS系をまとめる。

→5回タップしないとアプリを開けません。

→見ることへのハードルが高くなります。

→見る回数が減ります。

※16時以降しか見ないと決めています。

 

①自分の律した時間があった上で、SNSに決まった時間を使う。

SNSを開く、気づいたら時間が経っていた。

 

①と②では未来が大きく変わると思います。

②は、SNSが人生になってしまっている人に見えます。

 

SNSを作っている経営陣は、自分の子供にはSNSを使わせないといいます。

SNSが時間を吸い取るものだとわかっているから。

人生にとってはあまり良くない結果を生むと思っているから。

 

我々はSNSとうまく付き合う必要がある。

そのためには、自分とうまく付き合う必要がある。

自分はどういう人間か。どう生きたいか。

 

私は、1タップで注目を集めるように工夫しているSNSアプリを、

5タップで開くように工夫することで、うまく付き合いたいと思う。

 

そういう環境づくりが、大事。

また、16時以降しか見ないことは、自分との約束です。

自分と誠実に約束を守る間柄になりたいと思います。

 

思考の主人となって、人格を磨いていこうと思います。

人格を磨くことは、人生の一つの目標です。

 

それで何かいいことがあるかはわかりません。

ただ、人格を磨くことはそれ自体価値があると思って生きることが、

幸せな人生につながっていると信じています。

そうだったら最高ですね!