ねこに飼われる。
ねこを飼っている人は、同時にねこに飼われている。
ねこに飼われている率の方が高い。
ねこを飼っていると、人には言う。
しかし、それは本当ではない。
わかりやすいから、そう言っているだけだ。
本当は、飼われている。
これは、ねこを飼っている人には共感されると思う。
ねこが、背中に乗ったらもう、我々は動けなくなってしまう。
ねこを下ろそうという気が起きない。
背中に肉球を感じる至福の時となる。
ねこが遊びたい時、我々は遊んであげなくてはならない。
しかし、我々が遊びたい時、ねこが遊びたくなければ、遊べない。
ねこは、お腹が減ったら、アピールがすごい。
鳴きまくるし、こちらが寝ていてもお構いなしだ。
布団の隙間から、足を引っ掻きにくる。
そうして、我々は起こされ、ごはんをあげる。
しかし、悪いのはねこではない。
ごはんを盛っておかなかった我々が悪い。
ねこはグルグルいいながら、近づいてくる。
撫でると、ゴロンと仰向けになり気持ちよさそうに目を閉じる。
ねこは、撫でさせることで、人間に幸せを与えてくれている。
人間を飼うためには、アメが必要であることを心得ている。
ねこは、トイレの後がすごい。
猛ダッシュで部屋を走り回る。
これは誰にも止められない。
我々は、目で追うことしかできない。
ねこは、高い位置から我々を見下ろす。
所詮、人間はそんなもんだ。そういうことだ。
ねこは、お風呂が嫌いだ。
やり方を間違えると、人間は傷だらけになる。
一度、風呂のドアを閉めずに、出かけてしまったことがあった。
湯船には水が溜まっていた。
帰宅すると、にゃーにゃー鳴く声。
何事かと思ったら、びしょ濡れ。
きっと湯船の縁を歩いていて、落ちてしまったのだ。
なんてかわいいいのだろうか。
ねこは時々失敗する。
失敗すると、自分のカラダを舐める。
自分を慰めているように見えてかわいらしい。
平静を取り戻そうとしているらしい。
ねこは、失敗する。
つまり挑戦する。
挑戦して失敗する。そして学ぶ。
なんて、素晴らしいのだろうか。
ねこの背中を見て、人間も学ぼう。
今日も、私はねこに飼われている。