流行を追う中に、自分はあるか。
見える化、VUCA、自分ごと化などの流行りの言葉。
その言葉を無批判に使用することが嫌だ。
いや、あたかも自分の言葉であるかのように使う人のことが、
あまり信用できない。
確かに、世の中の変化に敏感に反応して、自分を変化させることは尊い。
ただ、なんだか薄い気がするのである。
変化に飛びついて安心したいのかなと思ったりもする。
なかなか穿った見方かも知れません。
すぐに役に立つものは、すぐに役に立たなくなる。
流行りの言葉は、すぐに役立つ。
役に立ったその人は、すぐに役に立たなくなる。
しかし、それを永遠に続けたら、
その人は「すぐに役に立ち、すぐに役に立たなくなる」ことを休むことなく続ける。
その結果、役に立ち続ける人が完成する。
しかし、本当に役に立つのか。
物事は、普遍的なものと、特殊なものがある。
特殊なものよりも、普遍的なものを選択する方が、普遍的な人間になる可能性が高い。
人を騙して得をするのは、特殊。
人に親切にして、親切にしてもらうのは普遍的。
今流行っていることは、特殊か、普遍かという前段の判断がないのは、危険だ。
流行りに乗り続けることは、自分がないということを意味するような気がする。
流行を選択するという主体性がない人間は、きっと生存確率が低い気がする。
自分で考えない人は、自分で自分の人生を生きられない。
自分の人生を生きていない人は、魅力的にはなり得ない。
私は、流行りの言葉を否定しない。
流行りに対して、私は、どう思うか。
これを自問することで、主体性を復権する。
流行りに振り回されない生き方をする。
流行りを追うことは、火事の火を消すために、火の先端に水をかけているようなもの。
火の元に水をかけなければ消えない。
私は、火の元を見定めて、そこに水をかけたい。
いつもできなくてもいい。
その意識は持っていたい。