月と民
皆既月食は見れなかった。
月の右半分が、影になっているところから見え始めた。
ぼんやりと、赤い光で輪郭をぼかされた月が美しかった。
さて、平安貴族は、水面に浮かぶ月の揺れ動く様子をみながら
月を愛でたらしい。
一方、庶民はただ月を見上げていたとのこと。
現代は、月をレンズで拡大して、Youtubeで中継し、シェアする。
見晴らしのいい場所では、月をみて息を呑んだことと思う。
都心で眺める人は、ビル群が邪魔で見る場所を探す必要があったかもしれない。
タワーマンションの高層階の人は、すんなり見れたかもしれない。
同じ月を見るのに、時代によって見方が違うのはおもしろい。
時代が同じでも、場所によっても見方は違う。
人によっても見方は違う。
シェアされる画像はどれも似たものだけれども、
そこに至る経験は無数にある。
その月を愛でる経験への到達手段に、その人が現れる。
月への思い入れも人それぞれだ。
そのことが、なんだか美しい。